ガラスに閉じ込められた世界
気付きにくい景色が、そこにありました。
私が以前使っていたのは、富士フイルムのX-E3で、テーマというほど大げさではないのですが、主に窓ガラスに映る景色を撮っていました。ガラスの向こうにあるものと、映り込んだ様々なものが織りなす風景の不思議さに、ちょっとはまってしまいました。
ただし、私の腕では量産はできませんでした。最初のうちは、半日ほど街に出ても、納得のいく写真は2〜3枚撮れれば良い方でした。情けない限りです。
それでも、何度か撮影を繰り返すうちに、なぜ撮れないのかが、なんとなくわかってきました。
これは、言葉ではなかなか説明しにくいし、説明すればするほど、違う方向に行ってしまうような気がします。それでも、誤解を恐れずに言うと、このような事なのかと考えています。
「人の脳は、ガラスへの映り込みを、見えないようにしてしまうらしい。」
意識のセレクト機能のようなもので、不都合なものや、余分な情報は、除去してしまうという事です。
つまり、映り込みを意識して見ようとすれば、隠された風景は、目の前に広がってくるという、至極簡単な事だったのです。
その事に気付き、それではと、意気込んで出かけたのですが、今度は、良い感じの映り込み風景に出会えませんでした。課題は次々に立ちはだかってきます。
反復は課題解決への道筋となり、自分なりのちょっとしたコツみたいなものがわかってきたような気がします。気がする、というのは確信ではないということで、まだ、暗中模索です。
私のインスタグラム
これらの映り込み写真などは、インスタグラムに投稿しています。映り込み写真をメインとしたSNSです。
もちろん、こういったガラスへの映り込み写真は、珍しい表現方法ではありません。雑誌や書籍、ネットでも、たまに見かけます。私がやりたいのは、ありふれた表現でも、もう一歩深く探ってみたい、ということです。
私のインスタグラムで、写真と共につぶやいたことのいくつかを、ここに再記してみます。
・ガラスに閉じ込められた景色は、振り向けばそこにあるのに、まるで、もうひとつの世界のようです。
・映り込み写真は、撮りたい被写体が見える形でそこにあるのではなく、謎解きゲームのように、隠されたカードを見つけ出す行為なのです。
・端境には、見えざる「ゆらぎ」があり、彼岸と此岸を行き来しているように感じるのです。
・ガラスの向こうと、そして、こちら側。視神経が震えてきます。